彼の憂鬱 1 |
「テマリ、まずく、ねぇ?」 「なに、が?」 「こんなところ、で」 「だって、もう、止められない」 唇が離れる度に漏れる、吐息と甘い声。頬や背を滑る細い指。 「誰か、来たら」 「瞬身したら、いいだろ?」 「繋がった、ままかよ?」 半分は牽制だった。このまま本能に流されてしまったらきっと、歯止めは効かない。テマリがそんな自分をからかっているのでは、という疑念もあったからだ。時々、この人は、そんな駆け引きを楽しむ傾向がある。情けないけれど、いつも本能に負けて、引っ掛かっている。その後の切なさといったら、口にはしがたいものだ。 ところが、今日のテマリは違っていた。 頬を滑っていたシカマルの指を掴み、自分の口元へと運んでいく。小さな舌が顔を覗かせ、ペロリと指先を舐めると、そのまま指の腹を滑っていく。そして、上目遣いで見上げる瞳が、止めのように誘ってきた。 「・・・ん、そう。繋がったまま・・・」 その瞬間、シカマルは、背に電気が走ったような痺れを感じた。 おかげでわずかな理性はショートして、探り合うような抱擁が、求め合うものへと変化する。様々な場所へと散らばった指先や唇は、もはや己の支配下を離れ、好き勝手に動いている。多少乱暴に振舞う彼らを制御することなど、シカマル自身にも不可能だった。すでにその指は、テマリの帯を解きに掛っている。もっとも高揚するところで、突然、腕の中のテマリが、奇声を発した。 「あ」 そう。それは明らかに奇声。一ミリたりとも艶っぽさを含んでいない。 先を急ぐ指が止まり、怪訝なまなざしを向けたときには、テマリの顔は“忍”に戻っていた。 慌てて身体を離し、 「まずい!シカマル、後を頼むっ」 言うが早いか、胸元を押さえたまま消えてしまった。 (・・・意味が、わかんねぇんだけど・・・) いつもの、からかわれた状況と、違うことはわかる。あの慌てぶりは尋常じゃ、なかった。 けれど、消し去るには時間のかかるテマリの移り香や、温もりが、残酷なほどシカマルに襲い掛かる。 (・・・結局、いつものパターンじゃ、ねぇ?これ) ふぅっと肩で息をして、大木に背を預ける。 どうやって“この時間を無かったこと”にするか、考えあぐねていたシカマルが感知したのは、異様な気配だった。すぐさま視線を目下へと移す。現れたのは、砂隠れの忍。こちらが気づくのだから、向こうも大枝にいるシカマルを見上げている。 (あれは、確か・・・) テマリの上司にして、かつての師。今回の同行者の1人だ。 故に逢瀬の時間が取り難いかもしれない・・・そんなことをテマリが言っていたな、とぼんやり思い出しながら、シカマルは身支度を整え、ゆっくりと地面に降り立った。 「お前・・・その容貌、その紋っ」 顔半分を布で隠した忍は、懐から手帳を取り出して、開いた頁とシカマルを見比べている。 確かに該当の人物であると確認するかのように深く頷くと、鋭い眼光を放った。 (おいおい、何だよ、その殺気は) 「奈良、シカマルだな?テマリをどうした」 「は?」 「とぼけるな。お前の身体に、テ、テマリのチャクラの名残が・・・」 口から唾を飛ばさんばかりの勢いで、そのこめかみには青筋が立っている。発せられたチャクラも、同盟国の忍相手に向けられる、ものではない。 「ああ。さっきまで一緒だったから・・・」 口にしてから、言う順番を間違えたな、と思った時は遅かった。 「な、なに?ぬけぬけとよくもそんなことを。覚悟しろ」 怒りで震える声とともに、鼻先へと向けられる刀。 (マジ、かよ) 「ちょっ、ちょい、待って。落ち着いてくださいよ。任務なんスから」 「任務?」 「世話役なんスよ、俺。火影に確認してもらえばわかることっスけど」 「それ以上の関係があるだろ」 「ないっスよ、マジで」 躊躇なく否定する。それ以外に、この急場を凌ぐ術はないだろうと、シカマルは内心思った。しばらく、睨み合う様な状態だったが、怯まないシカマルの態度に冷静さを取り戻したのか、テマリの上司は、ゆるゆると鞘に刀を納めた。 「あの人に、なんかあったんスか?」 殺気が薄まったのを確認して、シカマルはおもむろに訊ねた。 (もしかしたら、テマリが急に消えたのは、この忍のせいなのだろうか) 「他里の忍に話すことではない」 真一文字に口を結んでしまう。 (おいおい、刃を向けておいて、それかよ) 「それは納得いかないっすね。同盟国の忍相手に、一度は刀を抜いた事態っすよ」 非難めいたシカマルの視線に、ばつの悪そうな顔をした砂隠れの忍は、小さく咳払いをした。 「本当に、お前は、テマリと関係がないんだな?」 「ああ」 シカマルの返答に、深いため息をつく。 「無礼を謝る。情報ではお前が一番疑わしかったもので、つい」 そうやって、中忍相手に頭を下げるこの上忍は、見た目よりも悪い印象を与えない。これまでの経緯から察するに、テマリを心配しての行動らしいことは、理解した。少し尋常ではないが、あの人は風影の姉である。一般の忍には考えられない監視や、護衛などが、あるのかもしれない。シカマルは、必要だったとはいえ“嘘”をついたことに少なからず胸を痛めた。ただ同時に、気に掛ることが耳に触れたのも、忘れてはいない。 『お前が一番、疑わしい』 それはつまり、他にも嫌疑に値する人物がいる、ということだ。面倒くさい匂いが鼻をついたような気がして、シカマルは、砂隠れの忍が何事かを書き込んでいる手帳に目をやった。 (あそこに、その情報があるって訳か) 「俺が疑わしいって、なんのことっすか?」 わざわざ訊ねなくても、おおよそのことは想像できたが、相手が否を認めているこの優勢な状況を利用しない手はなかった。強気の姿勢を崩さずにいると、テマリの上司がおもむろに口を開いた。 「実はな、最近、テマリは反抗期らしいのだ」 「反抗期?」 そんなものが、あの人にもあるのかと、シカマルは耳を疑う。 「いや、忍としては優秀に育っているのだが、どうも年頃の娘にありがちな行動が目に付いてな」 ぼやく彼の姿が、幼馴染の父親と重なる。 (いのいちサンみてぇ・・・) シカク相手に、最近、居酒屋で愚痴をこぼしているらしい。 「動きやすいからと、露出の多い任服を好んで選んでみたり、木ノ葉からの帰郷がよく遅れたり・・・」 (それは、俺のせい、か?) 片棒を担いでいるようで、多少の後ろめたさを覚える。 「男からの私信が多くてな。それも1人じゃない」 (はぁ?) 聞き捨てならないその一言。 「あの、俺に出来ることがあったら協力しますけど」 すかさず、申し出る。是が非でも、あの手帳の中身を確認したくなった。 「いや、それは・・・・・・」 「つまり、あの人と深い関係にある人物が木ノ葉の忍だと、疑ってるんスよね?」 「・・・・・・」 「その手帳にある、1人1人を調査するのには、他里の忍には無理がある。しかもここは同盟国。下手したら不穏な動きと取られかねないっスよ。だいたい、さっきみたいなこと、俺みたいな中忍ならまだしも、上忍相手だと、誤解じゃ済まなくなるかも知れない。それがもとで戦争にでもなったりしたら、風影さんの立場もないっスよ」 多少、大袈裟な気もしたが、『不穏な動き』や『風影の立場がない』という言葉が期待通り功を奏して、それまで思案気に寄っていた眉間の皺も緩んできたような気がする。 (あと、一歩だろ) 「木ノ葉の忍が協力する方が、楽で、穏便に済ませられる、と思いますけどね」 最後の一押しに、明らかに心を揺るがせたテマリの上司は、 「わかった、その申し出をありがたく受けよう」 そう言って、片手を差し出した。シカマルもその手を握り返す。 「俺は、砂隠れのバキだ。風影様はじめ、3姉弟の後見人でもある」 「んじゃ、早速、どの忍から当たればいいっスか?」 シカマルの言葉に、バキは手元の手帳を差し出した。これに自分の知らないテマリの情報が記載されているかと思うと、一種の高揚が生まれることは否めなかった。 興味と、恐れ。 手にしたそれは、相当の厚さがある。 「人物帳はその付箋のところからだ」 その前の頁の記載も気になったが、余計な行動はバキの不審を買うかもしれない。 シカマルは、思わず震えそうになる指を鼓舞し、頁を捲る。 「猿飛アスマ」 (アスマ?なんで?) 拍子抜けして、バキを見る。 「テマリが将棋を覚えてな、里でもよく指している。この男の影響かと。なにより三代目火影の息子。エリートだ」 将棋を指南したのは自分ですとは、とても言えない。今は、無害な存在であると信じさせなければ。 「この人、俺の師、ですけど、×です。他に、いますから」 「なんだ、そうか」 バキはあっさりと納得し、筆で大きく交わる斜め線を2つ書いた。 (この程度じゃ、心配するまでもないんじゃねぇのか) 次の人物はゲンマさんだった。確かに浮名を流していると聞くが、すぐにはテマリとの接点は見当たらない。バキに理由を問うと、急にそわそわし始めた。 「いや、あれだ。中忍試験の試験管だっただろ?どうもその時のテマリを見る目が厭らしくてな・・・」 (おい、そりゃ、アンタの歪んだ主観だろうが) 呆れた視線を送って、頁を捲る。気を留めるほどの人物はいなかった。中忍がほとんどだ。これはテマリが中忍試験に携わっていることもあるのだろうが、理由は大したことが無い。年上だとか、給料がいい・・・そんな程度。キバの名があったのには驚いたが、「獣は上等な雌に鼻が利く」それだけ。 (アホか・・・) いちいち何かを問うことも面倒くさくなり、パラパラと先に進めば、ようやっと自分の写真が出てきた。すでに嫌疑が晴れ、×が大きく書かれている。興味があって、その裏の頁にある記載に一応目を通す。ここまでの人物の中では一番、“正しい情報”が列挙されていた。思い当たる節ばかりだから、尚更そう感じるのかもしれないな、シカマルは苦笑いする。 次の頁。 手が止まる。一期上の忍の写真。 「ネジ?」 「そうだ。名門日向家出身のエリートだ」 「それだけ・・・っすか?」 相変わらずの根拠の薄さに呆気に取られていると、バキは大袈裟に咳払いをした。 「まさか。裏を読め」 慌てて捲る。文字に目を走らせ、頁の端を持つ手に力が入った。 「これ・・・マジっすか?」 (テマリに私信を寄せる1人が、ネジ、かよ) 「書簡の数でいうとお前に並ぶな。テマリと同時期に上忍試験を受けたゆえ、その前後は情報交換だったと察しても、多すぎる。いまだに、定期的に届く。風影様の件で砂隠れに滞在していた時も、里ではずっと一緒だった」 (それ、聞いてねぇし・・・) 「親しげな様子でな、同じチームの忍たちにそれとなく訊ねたところ、木ノ葉でも会っているらしい」 (どういうことだ?それって・・・) シカマルが動揺ゆえに止まる指を催促するように、 「次の人物であるが・・・」 先を急がせる。 「実は俺が確実視している人物だ」 「・・・カカシ、先生」 「そうだ。はたけカカシ。木ノ葉きっての天才忍者にして、エリート。ここだけの話だが、次期火影の噂も里ではまことしやかになされている。テマリは年上、エリート志向のくノ一だからな」 (エリート?) バキの口から幾度となく漏れるその言葉。 「あの、聞いていいっすか?この中の人物の大半は、あの人より年上で、バキさんも、エリートを連呼してますけど、なんか、あるんすか?」 バキがほんのりと頬を赤らめた気がして、シカマルは眉を寄せる。 (その反応は・・・なに?) 「テマリはああ見えて、3姉弟の中でも師に対する敬愛が強い。それはつまり、俺に対するものだ。だから・・・な、わかるだろ?」 思わず「何を?」と突っ込みたくなった。それを堪えてシカマルは言葉を探す。 「えっと、つまりそれって・・・」 なかなか上手い言い方が見当たらず、言葉を濁す。それに業を煮やしたのか、バキが先を続けた。 「あれだ。ほら、娘は父親に似たタイプを好きになるって言うだろ?残念ながら前風影様は身罷られてしまったが、その後の父代わりは俺だ」 そして、咳払い。 「俺は、今、砂隠れでも出世頭でな・・・」 年上、エリートに偏る基準は、自分だ、と言いたげな様子だ。 (・・・つうか、おっさん、どの面さげてそんなこと) 「主観スね、それ」 呆れてやっと出た一言。再び、手を貸していることに後悔を始めたシカマルに、バキは告げる。 「ああ、まあ、はたけカカシに関しては半分だ」 「半分?他に、なにかあるんスか」 「はたけカカシは、風影様の一件以来、一時療養中と聞いたが、テマリが見舞いの品を数度送った記録があった。それだけではない。その間、頻繁に木ノ葉を訪れている」 シカマルは、即座にその時期の任務を振り返る。血の気が引くようだ。頻繁に・・・に値するほど、テマリとは会っていない。 「同行していた里の忍の話では、必ず見舞いに訪れていたということだった」 それは、風影の姉として、充分に考えられる。テマリは義理堅い女。けれど、テマリの口からそのことを聞いたことはない。シカマルの背を、嫌な汗が伝う。 自分が全く知らない事実を突きつけられて、シカマルは返す言葉を失ってしまった。テマリが木ノ葉に来ている時は、常に自分が一緒だった、という安心感があった。けれど、自分が任務で里を空けている時の、彼女の動向を、正しく知っている訳じゃない。 もちろん、なにもかも知る必要はない。 テマリにはテマリの付き合いがある。 わかっていても、湧き上がる焦燥感。 (嫉妬、だ) ネジのことも、カカシ先生のことも、シカマルには寝耳に水。 (この手帳は、パンドラの箱か?) テマリ特有の駆け引きも、もしかしたら・・・。そう思わずにはいられないほど、心がざわめいている。 (その先を、考えねぇ方が、身のためかも、しんねぇ・・・) 「奈良、どうしたんだ。早速、日向ネジのところへ案内してもらおうか」 意気揚々と先を歩くバキに続く奈良シカマルの足取りは、重かった。 終 (2008.10.13) |
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